INTERVIEW

いにしえの山の道、
古代東山道

信濃比叡広拯院 副住職

岡田 光正さん

信濃比叡広拯院は元々、天台宗の宗祖・最澄上人によって建てられた無料宿泊所でした。平成になって復興された同院の副住職、岡田光正さんに、最澄上人も通った古代東山道について話を聞ききました。

1300年の歴史が刻まれた「東山道」

東山道は、1300年前、奈良時代に制定された「五畿七道」のひとつ。近江国(現在の滋賀県)から陸奥国(現在の宮城県)を結ぶ約1000キロの道です。「海の道」東海道に対して「山の道」と呼ばれ、人や馬がさかんに往来していたと伝えられています。

最大の難所「神坂峠」

東山道の最大の難所が、岐阜県中津川市から阿智村に抜ける「神坂峠」といわれています。1576メートルという標高に加え、山道が長かったり、天気が急変しやすいなど、旅人にとって歩くのが難しい場所でした。

最澄上人によって建てられた広拯院

1200年前、東国への布教の途中で、天台宗の宗祖である伝教大師・最澄上人も東山道を通ったと伝えられています。神坂峠を越えてその大変さを実感した最澄さんが、西側の岐阜県側に広済院【こうさいいん】を、東側の園原の地に広拯院をそれぞれ建設しました。

旅人向けの無料宿泊所

そもそもの広拯院は無料の簡易宿泊所。現代でいう「社会福祉事業」の一環で、公共施設に近いものだったようです。場所の正確な記録は残ってなく、現在の広拯院の場所よりも峠に近い、月見堂の辺りにあったのではないかと考えられています。

歴史に埋もれていた広拯院の復興が始まったのは昭和後期。平成8年に比叡山本山と同じ鋳型の最澄尊像が建立されました。平成18年に本堂が落成された際には長野県唯一「不滅の法灯」を分灯されています。

信濃比叡 広拯院
阿智村園原智里3592-4
0265-44-2366
拝観時間 10時~16時30分
閉堂日 水曜日