昼神温泉の歴史

阿智村 村名の由来

平安初期に編纂された旧事本紀にもこの地域一帯を「阿智」と呼ぶ記述があります。
また延喜式には東山道の道筋の中に阿智駅が載っています。
このように古くからこの一帯を、あらゆる面で通称化されている「阿智」をもって昭和31年の三村合併後の新村名としました。
2006年1月に浪合村と合併、2009年3月に清内路村と合併し、新「阿智村」がスタートしました。

昼神と日本武尊

大昔の事です。日本武尊がご東征の帰り途、伊那谷を通って園原の神坂峠へさしかかったとき、山と山に閉ざされて空もせまく、雲が幾重にも包んで、越す方法も知れませんでした。さすがの尊もしばらく手を組んで思案にくれていましたが、その時、悪事をなさる神が尊を苦しめようとして白鹿に化けて尊の前に立ちふさがったのです。尊は不思議に思いながら、口に噛んでいた蒜を鹿に投げつけました。それがちょうど鹿の目に当たって、鹿は死んでしまいました。ところがたちまち濃霧が巻き起こって、一寸先も見えなくなった時、一匹の白狗が現れて道に迷う尊を里へ導いてくれたのです。これ以来、神坂越えには蒜を噛んで通ると妖気に打たれる事がないと言われるようになりました。このことから「蒜噛」が、現在の「昼神」の語源になったという説があります。

天八意思兼命

阿智神社に祀られているのは天八意思兼命ですが、その天八意思兼命は、「天の岩戸」にお隠れになった天照大神(あまてらすおおみかみ)を、岩戸の中から導き出す方法を考えて指示し、世の中に再び昼の明るさを取り戻させた智恵の神として知られています。信濃国阿智の里は、この神が天降りた地である、といわれるところから「昼神」と呼ばれるようになったとも伝えられています。また天八意思兼命は、「ものさし」の元をつくったことから、智恵と学問の神としても崇敬されています。

信州の南端にある山あいの静かな温泉郷

南信州最大の温泉郷でもある昼神温泉郷は、昭和48(1973)年に発見された新しい温泉地で、長野県の西の玄関口、中央自動車道園原ICから約10分、また飯田ICからは約15分ほどの、交通が便利なところにあり、名古屋と新宿から高速バスが連絡しています。

阿智川の清流をはさむように大小の温泉宿やホテルが軒を連ね、どこか懐かしい風情で訪れるものを優しく包み込んでくれます。四季折々に表情を変える豊かな自然は、温泉とともに疲れた心をそっとときほぐしてくれるはずです。
昼神温泉郷の周辺には旧跡が点在し、たくさんの神話や伝説も残っています。遥か万葉の時代から歌に詠われ、かの源氏物語にもその名をとどめる古代東山道の神坂峠や園原の里も、温泉郷のほど近くにあります。心地よい温泉がある、美しい自然がある、浪漫あふれる歴史がある、そして村人の温かい人情がある。

“阿智村は癒やしの里。”

そして、日本人が忘れかけている心のふるさとでもあるのです。